番外編: 自分の話

 

神戸に居た幼少時代。
長女(4人兄弟、3人年子の一番上)だった私はすこぶる自由奔放でお転婆ちゃん😝。外で毎日弟達と遊び回り、身体中常に自慢の傷だらけ🤕だった。(アザとバンドエイドだらけね)

いつも大勢の男子友だちをはべらせ、隣の従姉妹たちと兄弟のように夢中で遊んだ。(だって楽しいから)

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ある日、

近所界隈の壁で”絵描き唄”♪を歌いながら、ずっと壁つたいに悪戯書きして歩き周り、若くして偉業を成し遂げた👩🏻‍🎨。


その夜、やはり苦情を言いに近所のおばちゃん達が大勢ウチに押しかけてきた。

玄関でママがひたすら謝っていたのをこっそり後ろから覗き見していた自分。

でも母からそのことは全く怒られなかった。→故、反省してない

 

だって、既に家中の壁という壁は
私の落書きで一杯で、余白なしだったからww

え、何か?って感じだよね。

でもそれすら怒られた記憶が何故かない。(都合の悪いことは覚えてない系かもしれないが)

最初の3人”年子”の子育てで死にものぐるいの母 (当時22歳)は、ふつーにそれどころじゃ無かったのかもしれない。

 

じゃあ、お絵描きがホントに好きだったのね~?って??

いえ全く。

恐らくは自分が構ってもらえない事からのストレス発散。

 

たわいもない悪戯書きレベルでアートの才能があったわけでは全くない。

溢れ出る創造のしぶきをぶつけていたわけでもない。

だってその後、5歳で家族で東京へ転勤になり、段々私はその頃の無邪気な本来の私から遠ざかり、自意識と共に静か〜に新しい自分へと成っていったのだと思う。

新築の家で妹が加わり、家の中の空気が一転した。
(母はいつも多忙でいらつき、身体も壊しがちだった)
 

学校の図工の時間に白い画用紙を配られると、放心して何も描けなくなった。


もう描くことは楽しくなかった。

上手に描かねばという意識に乗っ取られたんだよね。


あの頃の小さな気持ちがどんどん沸いてくる・・・
(寂しくて悲しくて大泣き・・・・でもあやされない的な)


あ~!小さいのりぴ〜可哀想やーww
(よく頑張った!お姉ちゃんになるの頑張った!甘えたかったね〜!偉いよエライ!・・・・永遠と続くw)

 

そんな、一番自分らしくあった5歳までの時間。

思いだし、愛しんで、今またそこへ帰ろうとしてることに気づいた😠

 

結果や意味を気にせず、好きなことやりたいことを自由に好きなだけするように。
昔の自分がそうだったように。
好奇心とワクワクだけに反応して。

 

そう、私も愛なんだ。

へへ!

Mount Shasta

 

 

☆魂の記憶を司る、”地球の第8チャクラ”に繋がるシャスタ山から戻って